転職準備とカイヨワ

こんにちは。おうるです。

 転職準備が快調に進んでおります。

 「転職します」と言ってから、およそ1ヶ月が過ぎました。

 役職付きと面談3回。その上飲み屋で慰労。上司には泣かれる。現場はトラブル続きでてんてこまい。でも、プロジェクトで面倒を見てもらっている人には労っていただいて、「育てたかったなぁ」なんてあんまり優しい目で言われるから、泣きそうになりました。仕事なんてやってらんねーぐらい動揺。

 そんなこんなで波乱万丈ですが、なんとか転職に必要な書類一式を収集して参りました。

 まだ足りないものがあるんですが、それは今の会社の経理さんをつつくしかないので、とりあえずメールを送ろう。

 

 あ、あと最近、「遊び」について研究してました。「遊び」の概念自体を生活に取り込めないかなぁ、と思ったので。

 とりあえず、講談社学術文庫から出てるカイヨワの『遊びと人間』を読んだんですけど、一番最初の「遊び」の定義の段階で、「遊び」を日常に還元させることはできやんやんけ、と涙にくれました。「遊び」は日常(俗世界)から完全に切り取られていなければならないっていう……。日常と混じると「堕落」とまで言われてしまうし。

 さて、どうしたもんか。

 

退職届

こんにちは。おうるです。今日は手書き退職届のレシピを公開します。

 

★手書き退職届に必要なもの

・白い角封筒(長形4号:三つ折B5便箋が入るサイズ)※郵便番号欄が無ければ尚良し

・B5の白い便箋(縦書き用) ※ビジネスで使えそうなシンプルなもの

・ボールペン(黒インク)

・ネットで釣り上げた退職届の文章テンプレート

・無になれる空間と時間

・綺麗な机

 

★作り方

1.必要なブツを集めます

 コンビ二では手に入らないブツがあったりしますので、文具店がオススメです。

 ただし、あのオレンジの囲い──郵便番号欄の無い白封筒はかなりのレアアイテムなので、文具店でも無いことが多いようです。私は4件周っても見つけられませんでした。無ければ郵便番号欄付きでいいです。私はそれで提出予定です。

 

2.便箋に書きます

 綺麗な机の上で、テンプレートを横に置いて、無心に書き下します。

 文章は左から(つまり、最後から)書くと右利きの人は手が汚れませんから紙を汚す心配も少なくなりますし、文字を書き間違える率が減ります。

 万年筆や類似するボールペンで記入した人はインクで紙が汚れないよう注意してください。私は押印した後にやってしまい、書き直しました。

 

3.封筒に書きます

 表面の真ん中に「退職届」の3文字、裏面左下に所属と自分の氏名を書きます。

 

4.封筒の中に便箋を入れます

 便箋は三つ折にして入れましょう。便箋の折り方と封筒への入れ方があるようなのですが、そこまで気にしなくてもいいと思います。

 封筒は糊付けしなくてもいいようです。

 

はい、以上で退職届の完成です。

所要時間は人によりけりですが、私は1時間かかりました(書き損じ8枚、汚れで没2枚……)。

あとは懐に忍ばせて、こそっと上司にお渡ししましょう。私はその予定です。

ちなみに、お礼状用の便箋しか売ってなかったので、それに書いたのは内緒です。

転職活動1ヶ月。内定。

内定出ました

内定が1つ出ました。

受諾するかどうかを急かされているんだけど、今どうしようか迷ってます。

私の簡単な職務経歴

→大学卒業(2留)

→フリーター(2年)

→IT系人売り中小企業(特定派遣)に正社員で潜り込む。客先常駐(1年)←今ココ

今の会社と内定先

●今の会社(特定派遣のIT中小企業)

・年収:250万円(ボーナス無し、残業20時間/月込み)

・常駐先でソフトウェア開発。

・納期にさえ間に合えば、有給取り放題。

・仕事内容は面白い。すっごく好き。

・常駐先の人は基本的に親切。でも、無茶振りだったり、偉そうにするときもあるので、まぁ普通。

・上司はマブダチ。嫌なところももちろんたくさんあるけど、基本的に人間味溢れる超イイ人。

・自社自体は古い体質の人が多い。飲み会とか好き。

キャリアパスは不明慮。30代になったらお先真っ暗だと思ってる。基本、人は使い捨て。

・常駐先と別に自社用の勤怠表を作成したり、なんやかんやと二重管理しなきゃらならないのが死ぬほどめんどうくさい。しかも、自社業務だから休憩中にやらないとダメ。

・定時後に帰社して会議とか面談とか。あと、報告書書かなきゃならないとか。この安月給でどうして自宅でサビ残しなければならないのか。本当に無茶苦茶面倒くさい。

 

●内定出た会社(知名度は無いけど、そこそこの大きさの企業)

・年収:360万円(ボーナス込み、残業40時間/月込み)

・どーんと給料が上がることはなさげ。

・体力的・精神的に結構辛そうな現場。休憩なぞ、あってないようなもの。

・未経験の職種(PGではなくなる)。一から出直し。

キャリアパスはある程度明確化してくれている。でも、私が入るポジションからは上には行けないのは明白。

・そこそこスキルが付きそうなので、ここで長いこと勤めることが難しくても、2~3年頑張れば、さくっと転職することもできそう。

・安く買い叩かれてるなーという感じは若干ある。

・二重管理しなくてよくなるのが嬉しい。面倒な会議とか勉強会とか面談とか懇親会とかもやらなくていい。

まだ面接あるねん

もうひとつ最終面接待ちのところがあるんで、それまで待ってもらうつもり。

エージェントに年収の交渉頼んでみようかな。どうかな。未経験だと自殺行為かもしれんとは思うが。

あと、うちの会社早めに辞めたいんだけど、プロジェクトがまだ半年あるんですわ。知らぬ間に契約更新されてたんで(そもそも契約内容知らされてないし、知ろうとすると威圧されたりしましたん)、上手いこと辞められればいいんだが。

とりあえず、マブの上司には早めに言おうと思う。

履歴書は嫌いです

履歴書が嫌いです

日本の履歴書は嫌いだ。

なぜ、自分の過去の経歴を順々に書かなければいけないのか。
何回、私は高校の名前を書けば気が済むのか。
いちいち卒業年を計算するの、めんどうくさい。最終学歴だけでええやんか。

しかも、手書きが未だ根強い風潮。
未経験の人やキャリアの浅い若い人なんかだと、手書きでなきゃダメなところが多いらしい。

人柄が表れるんだと。
そんなんで人の中身がわかるなら誰も苦労せんし、あんたの会社で不倫騒動は起きへんわい。

キャリアの無い人は他に判断材料がないから、ってのはわかるけども、効率を求めるクセにそこはいいのか。
非論理的なのでよくわかんない。

履歴書、職務経歴書、CV、とりあえず完成

そんなことをぼやきつつ、履歴書と職務経歴書、それからCVを書きました。
さくっと2時間で書きました。手を抜いてすみません。
Wordで書いて、パスワード付けて、転職エージェントにメールで送付。便利な時代です。

転職する際は手書きなんてしなくていい。
大事なのはやってきた仕事の中身と個人のスキルなので、楽ちんです。

でも、ひとつ驚いたのは、証明写真を求められたこと。
CVを送った転職エージェントは証明写真は要らなかった。けれども、もう一方の、主に内資求人を扱っているところには求められた。

これ、怖いなぁ。近しい企業の人とかにもろばれやんけ。
顔は一番の個人情報だからそれがだだ漏れだし、写真撮るのもお金と時間がかかる。
顔が気に入らなくて、即落としされることもあるだろうな。だから、アメリカの法律はちょっと羨ましい。

CV、難しいわ。

そんなこんなで書いた3種のドキュメント。
我ながら、がんばった。誰も褒めてくれないから自分で褒めるけど、がんばった。

特にCV。ちゃんとしたCVを書いたのは初めてだったから、難しかったです。
ネットでサンプルを引っ張ってきて書いたんだけど、冠詞は、ネイティブの感覚に100%近づけてないからよくわかんない。
動詞のチョイスもなんや、難しいなぁ、と色々再確認して終わっちゃった。

まぁ、IT系の専門用語的な英単語を少し覚えられたのでよしとします。

さて、これで転職の準備が整いました。
これからどうなるかなぁ。わくわくする。自分の納得できる場所に着地したい。

早く落ち着いて、めっちゃ本読みたい。
ヒュームとスピノザバタイユ読んで、頭おかしくなりたい。

転職の話

転職はいつでもホットな話題

 「転職」という言葉はみんな大好きマジックワード。これのおかげでご飯を食べていける人たちもいるくらいです。そして、その人たちのおかげで日々忙しい人たちが、数多ある企業の情報を収集し、選別し、待遇を交渉する、といった泥臭い作業から開放されることになります。
 そのホットな転職の波に、私も乗っかろうかと思案中。そういったエージェントの力を借りて。東京オリンピックが始まらぬうちに。

「おうる」はどんな人間?

 私はアウトローです。大学では2留して、お情けで卒業させていただきました。その後もいわゆるプー太郎で、今の会社で働き出すまでは「職業:遊び人」でした。
 「新卒」という最高のカードをゴミ箱に捨ててきた人生です。そんな私についた値段は240万/年
 中途採用で、国の施策*1があるから採用されたのです*2。日本は雇用対策をがんばってますよ。

今の仕事はおもしろい・人間関係もいい

 今の職場では、仕事が大変おもしろいです。1年目のペーペーなのに、もっと年次を重ねた人が行うような仕事を担当することになったりするので油断はならないですが。
 誰も教えてくれない*3ので、ほとんど一人でドキュメントを漁り、プログラムを読む毎日です。質問はいくらでも受け付けてくれるのですが、その質問がまだ浮かばない状態。ほんともう、わけわからなくて頭が毎日痛いんですが、それでも楽しい。考えるのはとても楽しい。

 また、人間関係も大変恵まれていると感じています。職場では、チームプレイヤーが多いので、足を引っ張り合うことなく業務を進めています。私のようなお荷物も、一声上げれば、誠実な態度で助けてくれる人たちです。

転職の意味

 恵まれた環境であるのはわかっていますが、それでも転職を考えます。それは、自分の値札についた数字を上げるためでもありますし、ポジションを上げるためでもありますし、キャリア形成のためでもありますし、なにより自分の市場価値を知りたいからです。
 それができるのは20代のうち。しかも、まだまだお金を会社に引っ張ってこれない価値の低い私でも、まだ売り手市場でいられるうちです。

*1:若年層の雇用をすると、一定の給付金がもらえる。

*2:とは言いつつ、今は売り手市場なのが現実だと思います。私のクズな経歴でも、ハロワも通さず、大手転職サイトを利用して、1ヶ月の就職活動で内定は3つ出ました。相応の中小企業ばかり狙ったからでしょう。今の労働市場環境であれば、若いだけで、未経験でもIT系では見つかります。正規雇用です。特定派遣ですけど、それでもよければ安心してください、大丈夫です。私でも見つかったんだから。

*3:私が未経験かつ1年目ということを忘れてしまうのか、経験年数が長いために私が担当する仕事程度のことは、分相応の簡単なこととして考えておられるのか。

私が学生時代に勉強しなかった理由(いいわけとも言う)

理論に現実が応える

 私は理系でした。一応、しがない四年制大学を卒業しております。
 勉強は嫌いではないのです。しかしながら、私は勉強を全くしませんでした。
 私にこびりついて離れない切実な疑問があったからです。

 それは、「どうして人間の考えた理論(モデル)が現実に適応され得るのか」という疑問です。

 なぜ、たかだか人間の脳みそで考えたに過ぎないモノに、現実が応えるのか。これが考えても考えても分からなくて、それを当然のこととして成り立つ科学という営みが全く信用できませんでした。信用できないものを、勉強したいとは思えませんでした。

「自然の斉一性原理」

 世の中には哲学というものがあります。私は哲学が好きです。
 とある哲学の本で、デイビット・ヒュームが「自然の斉一性原理」を18世紀には提示していたことを知りました。
 これはつまり、私が抱いた疑問をヒュームも抱いており、その答えとして提示したものです。

 科学は暗黙のうちに、「自然界で起きる出来事には何らかの秩序があり、似た条件のもとでは、同じ現象が引き起こされるはずだ」という根拠無き前提(つまり、信念)をその身のうちに吞み込んでいるということです。

科学は「帰納法」が基本

 科学は帰納法によって成立しています。つまり、AとBとCという互いに独立した別個の事象から、抽象的なモデル──(教授の言葉を借りるなら)その本質を取り出すのが科学の営みということです。*1

 しかし、なぜそれが次の事象Dにも当てはまるのでしょう。その根拠は? 過去にも同じように理論を適応することができたから? それも帰納法からの推測ですよね。
 こうやって、最終的にはぐるぐる回る循環論法になります。

 つまるところ、「過去に起こったことは現在でも未来でも起こるんだ。よくわかんないけど、そうなっているんだよ!」と言うしかなくなるわけです。信念でしかない。

 しかし、この不安定な土台の上になぜだか科学という牙城は堅牢にそびえたっているように見えるのです。私たちの日常生活には、科学の恩恵が存在しないものはほぼありません。この圧倒的な現実の前では、私もその、ある意味宗教的な信念を吞み込まざるをえないのかもしれません。

 しかし、私は吞み込みたくないのです。激しく抵抗します。これはなぜかというと、ヒュームの言う「自然の斉一性」を認めてしまうと、その背後にある「絶対的な存在」を認めてしまうことにつながってしまいそうだからです*2。それは何よりも自由を信奉する私の性質に反する、決定論にいきついてしまいそうな匂いがします。端的にいうと、不快なのです。

「決定論」は嫌いです

 なぜ、世界は理論(人間の認知形式で構築されたモデル)に応えるのか。所詮は人間が考えたことでしかないのに。私は人間中心に考えすぎているのだろうか。

 本当は逆なんだろうか。世界が論理的で因果関係をもつから、人間の認知形式がそのように発達したのだろうか。では、世界はすでに絶対的なルールによって構築されているのだろうか。

 そうであるならば、人間はそれに従うしかないのだろうか。従うのなら、必然、人間には自由はないのではないか。私は鎖でぐるぐる巻きになっているのではないか。

 飛躍し過ぎかもしれませんが、そんな疑問が私の頭に沸き起こります。不安になります。

 早めに、ヒュームの著作を読みたいと思います。*3

*1:もちろん、その逆もあります。演繹的に、モデルを事象に適応することもあります。しかし、科学にとって最も重要であろうことはモデルを抉り出すことだと私は考えます。なぜなら、帰納法で取り出したモデルを演繹法で事象に適応して……というスパイラルが科学の進歩の秘訣なのでしょうが、その一番初めのステップはやはりモデルを得ることだと思うからです。物理学ではそれが顕著であると思います

*2:ちなみに私は不可知論者です。が、神の定義によっては認めるかもしれないと最近では考えています。

*3:これとは関係ないですが、私は「行動分析学」の本を好んで読んでいました。この分野では原因が行為の後にくるという不思議な前提を置いているのです。それがヒュームの因果論を知って、「これやんけ!」──つまり、私の理解するところでは、因果関係は実際に”ある”のではなく、人間の想像力が生み出すものである──と興奮してしまったので、それもひとつの動機ではあります